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私は、あの日ビルの13階にある職場にいた。
いつになく仕事は調子良く、売り上げに貢献していて、
15時までの勤務を気分良く終えられるはずだった。
 
が、最初は縦にグッグッグと落ちるような感覚で地震が始まった。
あ、地震だね…と隣の同僚と軽くアイコンタクトしたとたん、物凄い揺れが。
咄嗟に危機感を感じ、急いでデスクの下へ逃げ込んだ。
何かにつかまらないと、しゃがんでもいられない。
天板に両手でしがみついた。
とにかく今までで経験したことのない揺れ。
目の前を、書類が飛んで行き、パソコンが倒れ、モニターが落ちてきた。
何が恐ろしいって、その時間が長いことだった。
終息に向かうどころか、益々揺れの度合いは大きくなる。
 
一番に頭に浮かんだのは、息子のことだ。
 
今朝、今日から短縮授業だと言っていた。3時には終わると。
「それじゃあ、お母さんの方が遅いから鍵を忘れないようにね」
そんな会話をしたのを思い出していた。
 
部活に所属していない息子は、いつも誰よりも早く制服に着替えて、
さっさと下校する。
もしかしたら、国道に架かる陸橋辺りを歩いていたのでは・・・
もし、一人きりだったら・・・
いろんな良くないことが、頭に浮かぶ。
無意識に、息子の名前を叫んで泣いていた。
同じようにデスクの下で身を縮める同僚も皆同様に、
我が子の名前を呼んで泣いていた。
 
少し揺れが収まりかけたので、とにかくこのビルを出ないと!と。
床に散らばった大切な書類を踏んづけ、机や倒れたロッカーの上を乗り越え、
何とかバッグを肩にかけ、携帯を握り締め、皆で非常階段へ向かった。
もっと上の階からも途中の階からもどんどん人が出てきて、
階段もたちまち満員となってしまった。
今またここで大きな余震が来たら、みんな共倒れになると思うと、
本当に恐ろしく、ただただ一刻も早く一階にたどり着きたかった。
 
やっとの思いで一階に着き、同僚と外へ出た。
そのビルの地域の避難場所に指定されている小学校へ行くようにと、
誰からともなく指示が飛び交い、言われるがまま向かった。
歩きながら、夫に携帯をかけるが全く通じないので、
きっと身内は誰一人その存在すら知らないだろう携帯の災害伝用言板に、
自分は無事なことと避難場所の小学校の名前を入れておいた。
 
行く途中の道路は、既にひどい状態だった。
亀裂が入り、段差が生じ、あらゆる所から泥が噴き出していた。
余談だが、私は、職場ではいつもスリッパのような上履きに履き替えているのだが、
その時初めて自分がちゃんとスニーカーに履き替えていたことに気付いた。
あの倒れたロッカーの下からスニーカーを引っ張り出し、
無意識のうちに、瞬時に履き替えていたようだ。
全く覚えが無かったことだったが、ドロドロの道を歩きながら、自分の冷静さに驚いていた。
 
何とか小学校の入り口に着いたが、
「この小学校関係者以外の方は入校しないでください!」
と、信じられないようなアナウンスがあり、
近隣の職場から避難してきた人達から、どよめきが上がった。
 
校門から校庭を見ると、すでに大勢の人が避難してきていて、
当然、その学校の児童達も校庭に集合していた。
児童のことを考えると、不特定多数の人間を入れたら、
また違った危険が起こらないとも限らない。
しかし、ここは近隣の人々の避難場所に指定されているんじゃないのか?
とも思ったが、
もうそんなことはどうでも良かった。
私は、ひたすら息子のことが心配だったから。
 
どうせ締め出しをくらって、中に入れないのなら、
私は、息子の中学校までこのまま歩いて行こうと思った。
ふと見ると、すぐそばに同じ職場のM川さんが半泣きで、おろおろしていた。
彼女の子供達は、ウチの息子と同じ中学校に長女が、
そして隣接する小学校には双子の子が在校している。
私はすぐ彼女に声をかけた。
「このまま、T中まで歩いて行こう。こんな所でじっとなんてしてらんないし!」
 
M川さんと二人で、川沿いの道まで出た所で、
二度目の大きな余震が起こった。
立ってられないくらいの揺れだったので、
私達は思わず近くの電柱にしがみつき、肩を抱き合った。
少し待って揺れが収まったら、さらに急がなきゃという気になった。
M川さんの子供達は、部活があるから多分それぞれまだ学校に居るはずだと言っていたが、
タケちゃんは・・・
 
どうかまだ学校に居ますように・・・
 
川の水はドロドロに濁っていた。
橋の継ぎ目にはガクンと亀裂が入っていて、
万が一にも橋が落ちてこの川にぶち込まれるのだけは勘弁だと、

M川さんと手を取り合って走って渡った。
 
友達がたくさん住んでいる生命保険会社の社宅の前まで来ると、
液状化が激しく、道が陥没し、車が頭から突っ込んで動けなくなっていた。
あまりにも恐ろしい光景に足がすくむ。
でも、ますます学校に急がなければという想いが強くなる。
ガードレールをまたいで、反対側の川沿いの歩道に渡ったが、
こちら側の道もぐちゃぐちゃで歩けない。
土手をよじ登り、なんとか学校までたどり着いた。
M川さんは、まず小学校に行ってみると言うので、
私達はそこで別れ、
私は中学校へ。
校庭へ走ると、グランドの真ん中に子供達が集合していた。

必死で我が子を探す。
 
ほとんどの子がジャージ姿の中、制服に着替えたタケちゃんを発見。
友達と何か喋って、ニコニコと笑っていた。
思わず涙が溢れた。
フラフラと彼に歩み寄り、
「ああ、良かった、まだ学校に居たんだね。良かった・・・」
というと、
「わっ!お母さん!どうしたの?迎えに来てくれたの?早ッ!」
とか言われてしまった(笑)
友達にも、
「タケちゃんのお母さん、スッゲーな!スーパーじゃん!」
「愛されてんな~」
とか(汗)。
確かに迎えに来ている保護者は、まだちらほら。
友達から冷やかされ、バツが悪い雰囲気だぁ~と思ったけど、
本人はさほど気にする様子もないので、思い切って、
「会社から直接来たんだよー 地震怖かったねーーー」
と言うと、
「マジ、すげぇー揺れた。アレ?お母さん上着は?」
避難する時、靴は履き替えたけど、
上着を取りに行くには、さらにロッカーを幾つも乗り越えなきゃならなくて、
そんな余裕はさすがに無く、上着は置きっぱなしにして、
メッチャ薄着スタイルのまま、学校に来てしまっていた。
担任に挨拶とお礼を言って、
校庭の隅っこの方で先生方の指示があるまで待機。
 
タケちゃんが無事なのを確認したら、次は夫。
再び、夫や夫の実家に電話をかけまくる。
しかし、やっぱり全く通じず。
メールもダメ。
関東以外の場所なら通じるかもと、京都の実家やヨッシーが居る岐阜に架けてみるも、
やはり全く通じない。
しかし、諦めがつかず、いつか送信できるだろうとメールを送信しておき、
また電話をかけ直した。
すると、奇跡的に京都の実家の家電に電話が通じ、
母にタケちゃんと私は無事で今は中学校に居ると伝えることができた。
そして再度、災害用伝言板に、タケちゃんも無事でT中にいるとメッセージを入れた。
 
子供の引き取りが開始されるまで、校庭を見渡すと、
地割れしていたり、液状化で水浸しでドロドロの箇所もあった。
あぁ、しばらくは学校再開は難しそうだなぁと思った。
 
しばらくして、続々と保護者が学校にやって来た。
知った顔を見つけるたびに、
「怖かったねぇーーー!!!大丈夫だった??」
と声を掛け合い、抱き合った。


大変なことになってしまった・・・

 
〈つづく・・・〉


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