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そのミッションを書き進めていくうちに、
この手段は違うのではないかという気がしてきた。
サルオは大切な私の息子である。
今回の件の本筋は、小学校の頃の困り事と何ら変わらないだけに、
つい今までの調子で、話が下手な息子の代わりに私が代弁することで、
少しでも息子の本意をご理解しただきたい・・・と、メールを書き始めてしまったんだが。
実際、サルオはもう小学生ではない。
年齢こそ大人の一歩手前であっても、
いつまでも親が全面に立つ年ではないんだよね。
この春、自立を目指して親元を離れる道を選択したのはサルオ本人だ。
何か行き詰ることがあったとは言え、
そのショッパナから親がしゃしゃり出るのはいかがなものか。
スグに親に泣きつく甘ちゃん坊やだと、
さらなる格好の悪いレッテルが追加されることになるのではないか?
たとえ口下手であろうとも、
自分の言葉で自分自身が納得するまで、
先方とじっくり話しをするべきなのではないだろうか。
それでこそ、お互い本当の意味で分かり合える部分も出てくるのではないか?
逆に、やっぱりこの方向の事は全く通じないんだという部分も、
はっきりと明確になるはずだ。
間に親が入らなければ、どうにもならない段階じゃないかもしれない。
朝、サルオからの電話を切ってから、
整理するためにこれまでのことを箇条書きにして、
分かり易く冷静に書こうと下書きした。
だけど、サルオの言い分だけを一方的に聞いた今、私が書く文は、
どんなに中立的な目線で書いたつもりでも、
被害妄想だ、判官びいきだと思われるのではないか。
そう取られないように、
冒頭に、私が知っているサルオの至らない部分(誰よりもよく把握しているし)を並べ立てた上で、今回の用件を申し立てても、
親が息子のことを書く以上、所詮それは謙遜と取られかねないだろう。
単細胞な人間ほど、《単なる親バカ》 で済まされるのがオチな気がする。
それならそれで、全てをスルーしていくれるならそれはある意味公平だが、
ねちねち体質な人間は、逆に事をもっと面倒にしかねない。
やれ、「スグに親にチクッてる」だの、「陰口たたいてる」だの・・・言いかねない。
こちらのメールの真意を読み取ろうともせず、うわべの出来事だけ捕らえて、
サルオをさらに攻め立てるやもしれない。
そんなことになるくらいだったら、親は介入しない方がいいと、思い始めたの。
先方につべこべと申し立てるより、今私はアイツの行き詰った気持ちの捌け口になって、
一生懸命聞いてやり共感することが大事なんじゃ?
「もう小さい子じゃないんだから、自分の解決しな」などと、
突っ撥ねるような言葉は絶対に発せず、細心の注意を払って。
そして、私と話すことで物事を整理できれば。
もしかしたら、控えめに少しだけアドバイスをすることで、
先方と冷静に向き合えるように、勇気を持って出向いていけるようになれるかもしれない。
先方と冷静に向き合えるように、勇気を持って出向いていけるようになれるかもしれない。
親が、「どうゆうおつもり?」とにじり寄るより、
本人が、先方に話し合う時間をとってくれと願い出て、
素直に率直に今の気持ちを訴えるのが、最大の打開策なんじゃないか・・・
その代わり、その時を決して無駄にしないよう、
自分が納得行くまで、たとえ半泣きになっても半狂乱になっても、
最悪喧嘩のようになってしまったとしても、
相手にはとことん付き合ってもらわなければならないけれど。
最悪喧嘩のようになってしまったとしても、
相手にはとことん付き合ってもらわなければならないけれど。
サルオは、揉めたいなんて今までも、いつ何時も、決して思ってはいない。
楽しく充実した毎日を送りたいだけなのだ。
本当に単純な考えの持ち主。
本当に単純な考えの持ち主。
そんな気持ちを、常識的な理由もなく阻止する権利なんて誰にも無いはず。
でももし、今回の件が完全に私情が絡んだ出来事だったとしたら、
それは相手を変え然るべき所に申し出るまでだが。
・・・と思い至って、書いた文はとりあえず保存はして、
執筆作業は打ち切り。
雨だねぇ。
気持ち、沈むわぁ。
あーあ。
今日も、再び・・・
わしは、どうひたらええがぢゃぁぁぁ~~~~~
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