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Mさんの息子・作☆キャンドル~

先週、小学校の学級懇談会があった。
 
二学期の勉強内容の説明とクラスの様子が担任から話された。
 
勉強に関しては、しっかりやってもらっていると思う…たぶん。
日々出される宿題も、他のクラスよりは少し大目。
月一で行なわれる先生方の研修会(?)のために4時間授業となる日は、
高学年だと唯一放課後遊ぶ時間がたっぷりある日なので、
子供達は楽しみにしているんだけど、早く帰れる分、容赦無く宿題は増えたりする。
小坊の、渋々仕方なく宿題やりながらも相当ブーイングだ(苦笑)。
でも、中学に向けて、小学校のうちから勉強の習慣をつけておくのはとっても大切。
親にとては有り難いことだ。
 
が、情操面で私はどうもこの担任と考えが合わない。
 
懇談会で話があったこの、ドッジボール大会の時のエピソードなんか、特に。
 
 
二学期は学年で行なうイベントが幾つかあった。
林間学校はもとより、リレー大会、缶けり大会、校内フェスティバルでの出し物など。
クラスや班単位で行動しながらも、みんなで一つのことをやり遂げる。
教科書で習うこと以外のこう言うことも、実はとっても大切なことだよね。
 
話は、そのイベントの中の一つ、ドッジボール大会のこと。
 
先週毎日お昼休みに、クラス対抗ドッジボール大会が行なわれていた。
懇談会のあった日の小坊のクラスの結果はと言うと、1勝3敗と負けが込んでいた。
先生は、
「まあ、負けの方が多くて明日も負けたらかなりヤバイってことで…
 まあ最後の試合、一生懸命頑張ろうと話しています」と。
 
確かに、小坊は毎日帰宅するなり、
「また負けたーーードッジ!!2組弱ぇ~しっ!」
と、悔しがっていた。
私は何を隠そうその昔、《ドッジは大の苦手女子》だったので、
小坊サンがお怒りのコメントを吐くたびに、何となく耳が痛い想いだった(笑)。
 
で、さっきの懇談会の続き。
 
「昨日の帰りの会の《今日の振り返り》の時間(←この時間にも私は批判的デス!)の時に、一人の子がこう言ったんです・・・「今日のドッジボール大会の時に、後ろで何もしないでずーっとお喋りをしていた人達がいた。2組が勝てるように頑張ってやっている人に任せっ放しで、お喋りをしているのは間違っていると思う。もっと一生懸命やるべきだ」と。この意見が出た時、私は言ったんです。「でもね、人には苦手なこともあって、やりたくても出来ない人もいるんだよ。前に出て活躍したいけど、出来ない。そんなタイプの人の気持ちも考えて理解してあげなきゃいけない。キミが、そう言う弱いタイプの人の気持ちを考えられたら、きっと今みたいな発言は出来ないと思うよ。今回のドッジボール大会は勝ち負けだけが目標とは限らない。いろんな立場の人の気持ちを汲み取る勉強なんだ。」と。」
 
相手の気持ちを考えるとこは確かにスゴク大切なこと。
だけど、今回発言に対して言うこととしては的がはずれてやしないか?
「前に出て来ない」ことと、「お喋りしていた」こととは全くの別問題。
だって、その発言した子は、
「前に出てこない」ことでも、
「負けてしまったことをその子達のせいにしている」わけでも無く、
ただ単純に、「人に任せっ放しでお喋りしてた」ことに腹を立てているのではないか?
真剣に参加していないことが、頭に来ているのではないか?
それなのに、何でその子が、「相手の気持ちを考えたら、そんな発言はできない」とか言われなきゃならないのか?
逆に言えば、一生懸命にやっている人達の気持ちを、そのお喋りしていた奴らは考えるべきなのではないだろうか?
そんな摩り替えた先生の返答は、何だかおかしいと思うんだ、私は。
 
 
私も、ドッジボールは苦手で大嫌いだったし、前線で活躍なんて全く出来なかったタイプだ。
正直言えば、彼等のようにキャッチしてビューンと強いボールを投げ返せたらいいなあって思ったこともあったけど、出来ないもんは仕方無いので、出来る人達にやり取りは任せて、とにかく自分は逃げ回っていた。
常にその戦法だったから、意に反して気がつくと内野で最後の一人になってしまったりしたこともあって、泣きそうになったこともある(苦笑)。
出来ない人の気持ちは痛いほど良く分かるが、私はお喋りしていた子を許せないと言ったその子に賛成だ。
 
 
一学期の終わり頃、ある事で担任と個別で2時間半ほど話をする機会があった。
長時間話していたので、最後の方は本筋の用件から脱線し、いろんなことを話す事が出来た。
その時にも先生は言っていた。
「私は自分のクラスにリーダーは必要ないと思っています。まずは、皆平等であること。これが最優先。だから、息子サンが去年までクラスの中心になっていたと言う事ですが、今年は敢えてそうならないようにしたいと思う。普段目立たない子にも機会を与えて行きたい。授業中も、出来る子が手を挙げていて自分と目が合っていてもわざと知らん顔をしたりします。皆が平等に居られる平和なクラスにしていきたいんです」と。
変だなあって思ったんだ、この時も。
それが、平等ってことなんだろうか?
没・個性じゃないのか?
 
私は、高学年になってきたからこそ、リーダーシップを学んで欲しいと思う。
だがそのリーダーは、決してクラスに一人ではない。
小坊のようにスポーツが得意ならスポーツで、
音楽が得意な子は合奏で、
計算が速い子は算数で、
綺麗好きな子は掃除の時間で、
動物が興味がある子ならクラスで飼っているカメをしっかり面倒みてやればいい。
いろんな分野で、それぞれのスペシャリストが生まれて、クラス全員を引っ張って行けばいい。
それを、飛び出た部分を摘み取って頭を均して、
みんな同じにしてしまうことは平等とは違うと思う。
 
 
 
懇談会の時、よっぽど、「私は、それは違うと思います」って言ってやろうかと思ったけど、
そこで私一人がいきり立っても、担任の考え方がコロッと変わるものでもないし、オトナシクしていた。
でも、それは正解だったかも。
と言うのも、後日ママ友達から来たメールで分かったんだけど、
実はこの「喋っていた人達は間違ってる」と発言したのは、
小坊、つまり我が息子、その人だったのだ。
うすうす、もしかしたらそうかも…と思ってないわけではなかったが(苦笑)。
 
よくぞ発言したぞ、息子よ!
キミは間違ってないさ。
その喋ってた奴等は、反省すべきた。
そんなサボってる奴等の気持ちなんて分かる必要無し!
 
 
 
あ、、、でも、もしそいつ等が改心して、
でもやっぱりどうしても前には出てこられなくて、
ボールに一回も触らず、ただひたすら逃げ回っていても、
実は一生懸命やっているんだということを分かってやってくださいね。
その時にキャーキャーと笑いながら走っていて(←彼等にありがちなんデス)、
それは何とか大目に見てやってもらいないだろうか?
真剣じゃないわけでは無いというとこを…どうか分かってあげてね。

・・・な~~~んちゃって。
この辺りは前でバリバリとやれてる人達には、
なかなか理解してもらえないだろうけど(苦笑)。
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♠ 何だか…
本当にそう言ってたの?
と疑いたくなってしまうような先生の見方だね。
あまりにも強いコンプレックスの持ち主なのを看板下げて、先生という名の職業を使って、なにか復讐でもしているのかと思ってしまうような。
爽やかに明るく当たり前のように正論言う人って、
卑屈な人にはたまらなく眩しくて耐えられないのかな。
没・個性じゃないか?と古都ちゃんがいきり立つのは勿体なさ過ぎるくらい、論点の違い以前の問題な方なんじゃん?
病んでるのかなって心配にもなってしまう。
平等にいられる平和…と、
伸びる能力に杭を打つのは違うよねぇ。

陽が入れそうな高校なんて、7つの習慣Jでリーダーシップ育成プログラムを取り入れてるんだよ。

どんな方なのか逆に興味あるわぁ。
うーん…(謎)。
aloha 2008/12/11(Thu)00:24:09 編集
♥ Re
まいるでしょう…
来年もこの担任が持ち上がる可能性があるわけだけど、
二年間かけてこの調子で子供の頭を均されたら、卒業する時には本当に退屈で詰まらないクラスが出来上がっちゃうと思う。
心配です。
どうしたもんかねぇ…
古都  【2008/12/13 11:30】
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